「総棚ざらえ」

東浩紀さんのツィートより


本日、カタール/ドーハでの村上隆氏の大規模な個展 Murakami-Ego を拝見してきました。たいへん衝撃を受けました。理由は要約すれば一点。

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村上さんの新作、幅100メートルの超大作の五百羅漢図はすばらしい作品でした。もはや現代美術の範疇に収まらない。むしろ宗教画に近い。ひとを救うための絵です。実際村上さん自身も、3.11のために描かれたと言っています。村上隆というアーティストのキャリアの転回点になると思います。

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言い替えれば、この五百羅漢図の出現によって、いままでの村上隆の作品の見え方もまたかなり変わらざるをえない。村上隆は、この10年で世界のアートマーケットのルールをハッキングし、勝利を収めてきた。しかし、村上の視線はいまそんなマーケットの外に向かおうとしています。

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村上氏はいままで露悪的に「商売人」を演じ、そのせいで反発を買ってきましたが、その見え方が決定的に変わる可能性がある。とにかく、多くの人々に見て貰いたい。カタールは遠いですが、展示は6月まで。訪れる価値は十分にあると思います。村上さんと出会って13年、最大の感動がありました。

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というのがまずは感想ですが、そこにさらに付け加えると、この作品、カタールで見ることができてよかったとも思います。もしこの五百羅漢図がNYやパリで公開されていたら、やはり見る側も美術市場を意識せざるを得ない。また日本で公開されていても、震災の記憶が鑑賞を妨げたでしょう。

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しかしそれが、カタールという、美術市場からもあるていど離れ、また日本からも遠い、しかし(海の)シルクロードとは微妙に関係がないではない、そんな土地で公開されることによって、作品の宗教性が純粋なかたちで迫ってくる。それは得難い経験でした。

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というわけで、とにかくみんなカタール来たらいいよという話なのだけど、さらに付け加えて蛇足。

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この個展、きわめて大規模で、しかもカタール王室の全面的支援で成立しています。王女は埼玉の村上さんのアトリエも訪れたとのこと。つまり外交の最大のチャンスなのです。にもかかわらず、驚くべきことに、在カタール日本大使館の支援もなければ、大手新聞社の取材もまったく来ていないとのこと!!!

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村上隆氏の活動については、昨年末のNYクリスティーズでの震災支援オークションの報道も日本では驚くほど小さいものでした。日本政府、および日本マスコミはいったいなにをやっているのでしょうか。日本のトップアーティストがこんなすばらしい活動をしているのに、全面無視。義憤すら感じます。

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というわけで、日本の「クール・ジャパン」政策をやっているらしき担当者の方は、いますぐ最低限の現代美術の常識を叩き込んだうえで、カタールに飛ぶべき。それはあなたたちの職務ですよ。

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というわけで、メモ終了! 「東興奮しすぎじゃねw」とかいう反応はむろん自由。しかしぼくは感動したし、多くのひとが来るべきだと思いました。そして、そういう価値判断とは別に、日本政府はこの機会にカタール政府との関係を深めるべきだし、マスコミはフェアに報道すべきだと思いました。

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村上隆は、現代美術家を(あえてこういう言い方をするけど)超えようとしていると思う。それが感動した最大の理由です。

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ところで、今回の個展は、五百羅漢図以外にもいろいろ見所あって村上隆展としてそもそも出色の出来なのだけど——ただやっばり、僕的にはあまりに五百羅漢図の衝撃がでかかった! あれは美術の素養とかまったくなくても、なにか感じるところがある作品だと思う。ぼくも6歳の娘に見せたかった。

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ぼくの思うに、宗教は哲学より偉いし、哲学は批評より偉い。そして現代美術はたいてい批評で対処できる。哲学が必要なのはごく少数。しかし村上隆の新作五百羅漢図は宗教の領域に、つまり祈りとか救いとかの世界に届いている(とぼくは思う)。完敗ですよ。。

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@hazuma 日本のメディアは日本国以外で起きている事には無関心。読者の日本人が興味が無いようなのです。オラが村の事件しか興味が無い。石川遼君とかも世界でバンバン勝つよりも弱くて一般人に近い部分が脚光。こんな感じ→ http://t.co/IlkrLFxQ 今日の検索トップ

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@hazuma 東さんに感激して頂けて嬉しいです。ほんとうに。311のその日から芸術は何をすべきか。を考えに考えて行動してきました。出した結果は、、、。。

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@hazuma <宗教芸術は方便であり時代時代によって変遷し、普遍はあり得ない。方便の行き先として口当たりのいいモノではなくキリキリ舞いする方向性を設定し、制作する人間達は全員困苦を背負い込むべし>その為に制作体制そのものを考え直し、共に働く若者へのメッセージの方向性を変えました

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@hazuma 日本人かくあるべし、という美意識をもって、その生活態度姿勢の矯正。なぜ僕が美大美大生と連呼するかと言えば、美大の連中は一応一般人ではなく技術能力は特殊にトレーニングされているのだが、一般教養が無さ過ぎてその使い道が閉ざされていてもったいない、と思ってるからです。

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つづき>矯正とかいうと拒否反応がありそうですが、美大生は既に受験教育によって鋳型にはめられる事を喜んで受け入れているのですから、問題視する必要等無い、と断言出来るのです。なので「挨拶出来ない、責任感無い、直ぐに逃げたがる、精神病科に逃げ込む、日本語がわからない」等を矯正。

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特に今、日本人として何をすべきかという思考を持つべき現場(五百羅漢の設計、制作時には何度も若者達とミーティングを持ち教育もしてきた)では、各個の「美」への意識とともに、「労働」とはなにか、を徹底的に考えさせる事にしたのです。正直、困苦を伴った労働の成果は人々に感動を与えやすい。

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という感じでした。@hazuma さんの展覧会感想を受けて熱くなってしまった。もうひとつついでに言うと、今回の100m五百羅漢プロジェクトの制作は宮崎駿における「カリオストロの城」だと思って制作にインしました。どういうことかというと、今、宮崎駿は1作品をつくるのに最低2年かかる

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しかし「カリオストロの城」の製作期間は5か月だったとのこと。「総棚ざらえ」と自分を揶揄し出来る戦力を分析して出来る事だけの事で制作した同作品は、その制作体制とは裏腹に未だに名作の誉れ高い。なぜか?それは制作体制にあったのではないか?と思っていたのです。

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http://p.tl/jhUb 今までの作家に蓄積した要素を再編集、再統合して、目的のゴールまで走らせる。中距離走なのに短距離走のような全力で走り抜ける事でスタッフ各人の未発現の素養を引き出し、作家本人においても思わぬ幸運に巡り会ってアイディアを拾える。

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そういう闘い方でやり抜きました。なので、ある意味100m五百羅漢は僕の美大生の時からの「総棚ざらえ」の作品なのです。

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