アートってなんだろうか?

奈良さんのツィッターから拾い読みした。 http://t.co/5200GrXO いやはや。新聞記者レベルでこの不勉強ぶりか。これだから混乱するのです。漫画とアートをごっちゃにしたのはわしかもしれんが段取りの組み方がちゃうでしょ!

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アートは感じるままでいい、という盲信は日本の戦後教育に顕著。アートの鑑賞には最低限の学習が必要。例えば、奈良さんの作品を鑑賞して「かわいい」だけではアートを鑑賞する所作ではない。戦後の日本の文化状況、ロックの音楽史、彼個人のプロファイル、、、を西欧式アートの歴史と相対化させる。

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相対化とは、アート足りうるか否かの文脈のパーツの確認とそこからはみ出るオリジナリティが西欧のアートの歴史において、意味があるか無意味かの査定に合格しうる文脈を持ってるかどうかを検証してゆくこと。

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例えばこの記者が http://t.co/5200GrXO 大友さんの作品をアートと言うのであるならば、この記者本人が境界線の越境の文脈を持っていなければならない、、、が、この記事の場合、なんとなく世界で有名だからアート、レベルなのではないか?それは失格。

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まぁ、この記者の言うこともわからんでもない。なぜなれば、日本の大衆はアートを不勉強のママ、鑑賞してもいいじゃないか、という居直りがあり、そのニーズに答えている、という意味において、多少同情もする。

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その意味で日本独自のアートという概念があったりする。日本の戦後文化的アートが。その概念を世界言語にしたいなら、しっかりとその意味意義を説明できねば納得されない。つまり、説明できない場合は例のガラパゴス(シャープのタブレット、、、のネーミングでもあるあの界隈な気分)的な状況になる。

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日本独自の居直り型アートは生存し続けるのは極めて困難であると言わざるを得ない。

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日本で活動するアーティストの多さと、インターナショナルなアートの世界で活動可能な人間の比率をみると、とにかく%低すぎ。

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あれもこれもアートでござい、というのはいいが、先ほどの日経の記事のように『世界での活動』を基軸にした説明であるなら、日本式居直り型アートの概念とは一線を画すべきであったのではないかと思いました。

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本日は月曜日。六本木アートナイトで夜ふかしして、アートってなんだろうか? と疑問に思った通勤時の諸兄に読んでいただきたいです。さっきの連ツイ。

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、、、と、いいつつ、メキシコ&サンパウロのアートフェアへ出展する作品、作家の候補を考える作業に戻ります。

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ちなみに、、、現在の日本においては漫画とアートの社会的な立ち位置は漫画のほうが上位であることをココで再確認したいです。故に漫画家の方に『アートですね』というと、嫌な顔をされます。ココ、重要。日本ではアートはクリエイティヴワールドのヒエラルキーにおいてかなりの低位値にいます。

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