身の程を知れ

POM見る。昨今の若者の教育の現場を。「おはようございます」「失礼いたします」「ありがとうございました」「お先に失礼します」「お疲れさまでした」働く人全員に毎日朝礼で復唱してもらってます。 http://twitpic.com/8noisy

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[今からエアブラシ、吹くの、準備してもらってます。

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絵を造るのにいろんな道具を使う。エアブラシを吹く時にはコンプレッサー、ガン、マスク、エアチューブ、脚立、もろもろ、常に調整せねばならないのだが、

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そういうこと、親方が1回1回言い続けて、教える。でも、覚えない。物事が連携して思考出来ない。今日はマスクのジョイント部とゴムひもの部分が壊れたままになっており、使えなかった。ガンの洗浄、わざと言わなかったのだが、、、まぁ、行わないよなぁ、言わなきゃ。とほほ。

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大きな作品を造るには、それなりの道具が多く必要で、それらの道具を使用し、メンテナンスし、その行程の中で特性を学び、今、行った行動よりも、更に先に行けるよう、補正し続ける、、、という行程が巧く行き、思い通りになってゆくという喜びが何よりの報酬、と思えぬ人間はモノ造りにはむかない。

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有名になりたい、仲間より良い思いしたい、が、モノ造りを超える優先順位になっているモノ共。なにもかも芸能人化してゆくことがゴールのように設定された日本のARTの世界からは、力のある作家は出て来れない。

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小ネタを出し続けて、狭い業界をたぶらかして、話題の少ない業界でたまに話題になって、ハイ、有名アーティストでござい、が最近のゴールなのか?そもそも作品を観れる評価軸が無いと思わせている事に戦後日本現代美術の悲劇はある。

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俺もデヴューした時に多分そう思われたであろうし、作品をメディアでしか見てない者共は、表層的な意見しか言わない、言えないので、一見、同じ風体に見えるだろうが、作家は作品が勝負の本拠地だ。作品に何もかもが封じ込められねば、作家ではないのだ。

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封じ込めるための技術力への軽視。ここを是正する為に、工場を拡充し道具を揃え、日々検算してきたつもりなのだが、若者達の野心は、そうした技術へは行かずに、インスタントに有名になったり、褒められたい事へ集中している。溜め息しか出ません、、、。。。

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作品の完成度に対する執念が、結果、作品の強度を決める。コンセプチュアルアートでも、歴史に残る作品は、その温存への結界の造り込みに執念を燃やした軌跡がある。が、素人はそれがわからない、理解出来ない、しようとしない。

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マスクの調整、ガンのメンテナンス、チューブ捌き。そういう基礎的な日々の努力を、どうしてきちっと出来ないのか?教えても教えても出来ない、手を抜く、誰かがやってくれると思う、自分はやらなくていいとおもう。じゃあ、おまえ、何の為にココにいるのよ?え??

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修行への突貫、すなわち、身体の機械化へのプロセス無しに、作家にはなれません。絵が下手では、プロとして生きてゆけないし、まして、歴史に残るはずも無い。なぜ、それがわからないのだ?身を賭して修行し、機械のように動くまで修練しても尚、芸術の不思議にまでは到達出来ないと言うのに。

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エアブラシの行程ひとつ、気持ちよく出来なかった、三芳工場の今の夜勤のスタッフへの苦言だ。夜勤の連中は甘えてるぜ、馬鹿者!

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溜め息、、、。。。

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五百羅漢の作品が終わって、お前らが作家本人のように一段落して、なんともかんとも。

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修行は一生終わらない。それが我ら芸術芸能人=非人の宿命なのだ。なのに、、、なにをいっぱしの人間様のような面ぶら下げてるんだ!身の程を知れ!

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我らの職能は修練された結果さえ、忌み嫌われ嘲笑の的となり、しかし、そのことそのものが我らのこの世での存在意義であるという事を思い知れ。

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いっぱしの人間様を目指すなら、この業界に入ってこない事です。僕が美大批判を続けている根本には、日本における職能人の設定そのものが間違っているがゆえ、育たない、育てられないのです。解りやすく言えば、僕らの仕事は忍者のようなもんです。

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ヒエラルキーの最下層です。

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忍者は世の中の影。使い捨てられる存在であるにもかかわらず、修行し続け、技術を身につけ、その達成の中にのみ喜びを見いだし、人の感情の裏をかき、ミッション達成への道筋を作り上げる。が、基本的には使い捨てされる運命。

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それが芸術芸能人の社会内設定なんです。なのに、さも上位構造の玉座があるかのごとく、西欧の芸術界を妄想させ、その虚構の威光をもってひれ伏させてきた美大教育は完全に間違っている。

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底なし沼のような人間達に杭を打ち込み、土台を作る所から始めようにも、取りつく島が無い。それでも日々観察し、それぞれの引っかかりを探って杭を打ち込み土台を作る、造らねば作品が出来ないからだ。俺もやりたくて教育をやってる訳じゃない。教育から着手しないと作品が出来上がらないのだ。

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今、制作している作品は五百羅漢の作品の前のシリーズだ。一見、簡単に見えるのかもしれんが、相当難しい詰め将棋の作品なのだ。それを舐め腐りやがって。許せん。

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と、現場がこのツィートを読んでいるので、苦言を申し伝えました。以上です。

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カイカイキキの教育も今の所正しいのだ、と断言は出来ないジレンマがあります。理論の補正を行い、現場施行しても、その現場の素材=人材の変化に対応し続けられねば無意味だから。

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最近、どうして俺がここで親が手を抜き、学校が手を抜いた人材教育の補完をやらされるのか?と疑問に思い続ける、、、が、気がついた人間が手を下さねばならない。それが311以降の日本社会へのリアリズムだと思っているから。逃げちゃダメだと己を鼓舞させるのです。

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