哀しい闘魂

昨日の多摩美にて、堀浩哉先生のゼミ講義&鼎談が終わった。堀先生は美大批判をどう受け止めるかで、ご自身の迎撃体制を整えていたようだが、僕的には若い学生に、エゴの肥大のみの現状への警笛と、今後のアートシーンの展望をお話した。「内輪」にのみお話するような、他では話さない特ネタを話した。


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それはさておき、多摩美について直ぐに、堀浩哉先生から彼の昔の記事のコピーを差し出された。「LR」という美術業界の個人誌のコピーで、僕と椹木野衣さんへの批判が展開されていた記事であった。批判のポイントは、ザックリ言えば「おまえらのプロレス、格闘技への視点は間違っている。元より?


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?史実も不正確だし、<ガチ>という言葉の用法も間違ってる。そういう人間たちが美術とプロレスに橋を掛けてくれるな。迷惑だ」という内容だった。時、格闘技隆盛時「K-1」や「PRIDE」が世の中で爆発し始めた頃で、僕は櫻庭&ホイスグレイシー戦に心酔していて、いたるところで


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格闘技?美術、という文脈で語っており、しかしながら、語れる人間は稀有で、写真家のホンマタカシさんぐらいしかいなかった時代。で、堀浩哉さんの批判。そもそも知らなかったのだが、堀さんは、匿名でスポニチにプロレス記事を書く非常勤のライターをやっていたとのこと。


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1972年、アントニオ猪木新日本プロレスと旗揚げしたその日から、異種格闘技戦は全て実戦を現場で見たという強者。「俺の弟子が80年台になって紙のプロレス的な文章を書き始めたんだが、当時は文脈でプロレスを観る者など皆無だった、


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そもそも、堀浩哉さんは「美共闘」というムーブメントを起こした作家。正直、あんまし関係ないなぁ?ぐらいにしか考えていなかった。が、時系列的に言うと「もの派=李禹煥とか関根伸夫とか」→「ポストもの派=岡崎乾二郎」の間を埋める場所にいたという事。

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つまり「もの派」「美共闘」「ポストもの派」という流れだったという。で、その「美共闘」の作家、堀浩哉さんの作品といえば、脱臼した抽象表現主義のグダグダな絵、、、にもならない、絵の残骸、のような感じ http://t.co/gYxirFaF で、


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ある意味僕が眉をひそめる戦後の現代美術病、つまりアメリカの抽象表現主義のフォームを借りて、日本を描こうとする、言ってみれば外人がオタク絵を模倣して、自国の問題を語ろうといっても、そりゃ無理だよ、的なアプローチに見える作法。なので、そりゃ西欧での文脈解説なんか無理だよ?と思ってた。


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が、いろいろ話を聞いていると、なんか、そういう訳でもない。争点は「政治的闘争」と「プロレス論」にあるのだ。


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結論はもう少し先なので、少々付き合ってほしのだが、日本美術業界は、ほんま、不勉強で世間知らずな阿呆しかおらん世界。故に、現代美術の最も高尚なもの=「抽象表現主義」「クレメント・グリーンバーグ」の一神教に頼った展開をやってりゃ、これまた阿呆な太鼓持ちの文章書き屋が誉めそやし


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な?んちゃって抽象画を書いてりゃ褒められる時代もあった。で、その一派だとしかメンション出来なかった。が昨日聞いた堀浩哉さんの話を統合してゆくと、驚くべき違った風景が見えてきたのだ。何を言いたいかといえば、


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日本の美術界において堀さんの知ってる「プロレス的コンテクスト」は全く理解されず、「政治的闘争」の意味など、全く聞く耳がなかった。で、堀さんの芸術とは何か?と問えば「アントニオ猪木というプロレス界の特異点」を脱構築させたモノ、と言えるのだ。しかし、プロレスのボキャブラリー、歴史観


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を共有せねば理解できないし、元より「プロレスとは何か?」という文脈が、今まで冷静に俯瞰できない時代でもあった。故に、文脈の道筋が絡まりすぎて見えづらくなっていたのだ。


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今、日本の戦後、誕生したプロレスは一度終わった。プロレスから派生した格闘技も終わった。つまり、歴史化可能な時代に入った。その現在、 堀浩哉の唱える「政治的闘争=美共闘」「アントニオ猪木という特異点」という概念は、実態を形成可能な時代に入ってきたのかもしれない。


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アントニオ猪木とは、力道山にブラジルから呼び出され、ボコボコにいじめられ、プロレスエリート ジャイアント馬場の影となり、四面楚歌で新日本を立ち上げた、その立ち位置、爆発力を現場で東スポの無名ライターの位置から見てきたリアリズムを、誰に言ったってわかる訳ない」


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アントニオ猪木はウィリー戦で、リング下でボコボコにされたんだ。つまりそれは極真との<政治闘争>であり、越境してゆく時には<殺される>というリスクが常に伴う。パキスタンでのペールワン戦だって、あそこで腕を折って逃げるしかなかったんだ。引き分けにするしかなかった!」


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「格闘技があるだろ。あれはルールがある。勝敗が明確だ。じゃあプロレスはどうかといえば勝敗じゃない。でも猪木は違うんだよ。全く違う。特異点であり、常にルール侵犯を繰り返す<政治闘争>を繰り返した異常者、異能人なんだ!だから、僕は美術界でも異能人足りえるにはどうしたらいいのか、、、


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西欧の美術は格闘技的だ。村上くんの言いたいことややってることはわかる。勝敗の着く世界だ。でも、僕が目指した世界はそうじゃないんだ。猪木の持っていた戦後のリアリズム、脱臼した美意識、それを敗戦国のリアルとして、抽象表現主義のフォームを借りてやらねばならない、そう思ってきたんだよ」


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「戦後の日本では絵画は成立しない。しかし、絵画は成立させねばならない。僕はモノを造ることを否定していたにもかかわらず、造ることを選んだんだ」


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http://t.co/IY1tDh6f この作品を見て欲しい。一言で言えば汚いストロークの抽象表現主義もどきだ。だが、猪木的脱構築のフィルターを通してみると、1つ1つが合点がゆく。


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http://t.co/IY1tDh6f 上の作品。画面が黒いエリアと白いエリアに上下で二分している。そこに赤いストロークが唐突に入ってきている。絵画的な気持ちよさでもない、抽象表現主義的な構成でもない。だから「わからない」モノだったが、赤い線は猪木的絵画の特異点を、、、


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イラストレートされた説明画としてみると、堀さんのプロレス文法がじわじわと浮き上がってくる。絵であって絵ではない。そして猪木的特異点を悲願する思いを赤に託している。絵画になりきらない、この世に誕生しきれない、水子的絵画への鎮魂、と見ると、ぐぐぐぐ?っと意味価値が立ち上がってくる。


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堀さんの熱弁には確信があり、自信がある。その裏腹に作品にはそういう骨子がない。しかし、その骨子を抜いた作風に堀さんの真意があり、猪木的特異点の救世主降臨を願う哀しい絵画の鎮魂を見立てると、涙がじわりと浮かんでくる、日本の戦後史の実態のドキュメントにも見えてくるのだ。


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以上。多摩美教授、堀浩哉さんとの出会いで得た、驚くべき含蓄のあるお話を6時30分頃から、8時過ぎまで90分間に渡って書き散らしました。書いてたら、堀さんの展覧会とかやりたくなってきたなぁ?。。。と久々に美大生に戻ったような、日本式現代美術の読解の興奮の瞬間でした。おしまい!


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つかれた。


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堀先生が椹木さん、僕にしかけてきた喧嘩への椹木さんからの返答が村上隆読本に掲載されてます。 http://t.co/5MtGoVgB


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堀浩哉さんのプロレス話は、僕の格闘技の師匠、本橋さんと真下君に聞いて欲しい。いつの日かその辺の話ができる場を作りたいもんです。


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堀浩哉さんのプロレス話は、僕の格闘技の師匠、本橋さんと真下君に聞いて欲しい。いつの日かその辺の話ができる場を作りたいもんです。


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