絵画の設計図

日本の美術評論はナラティヴな面に集中するが、特に絵画に関してはあまりにもおぼこい。絵画は建築的構造設計の部分に、もっとも西欧式であるか否かのキーがる。しかし、日本の美術評論にはそこがズッポリ抜けている。日本でみな僕の作品を騙し打なんだと騒ぐのは、絵画の設計図を見る力が無いからだ。
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カイカイキキでの新人の修行はこの作品における『建築的構造設計』に集中する。あまりにもテクノロジカルに吸収すると無味乾燥になるし、知らなければぐだぐだになる。そのさじ加減が争点だ。美術大学ではココが教えられていない。そして、アートマーケットにもこの事は言えよう。
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アートマーケットにも『建築的構造設計』の図面がある。それが読み解けないから、これまた騙されるとか法外な値段とか騒ぐのだ。しかしみてみよ。クリスティーズサザビーズ、一体何百年稼働し続けている?例えば日本のお茶の道具の世界のマーケットも似た構造だ。その業界のアーキテクチャーを知る。
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大事だけれども、日本の美術評論教育では全く行われていない。故に印象批評や外国の評価に頼った言葉での善し悪ししか言えないのだ。ああ、哀しい。
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お茶の世界の欲求の構造は、クラス<地位> パワー<権力> ジェラシー<嫉妬> 人間の上昇志向、占有思考へのアプローチがある。が、戦後の日本型民主主義はフラットなクラス構造を望み、それがほぼ達成した、が故に、そうした人間的欲求が薄暮していき、結果、コミュニティーの中における対話も
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必要視されなくなった。否、敵視しはじめた。自分より上がある、という設定そのものが許されない。が、人は他者との差別化を願う。そこに付け入ったのがブランドビジネスだ。そしてそのブランド達がアートを欲している。更なる差別化を計るにはクラス<地位> パワー<権力> ジェラシー<嫉妬>
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の渦巻きをつくって、人を蠱惑してゆくしかないのだ。そしてブランドがなぜミュージアムを造るのか?それは人の欲求への欺瞞をショックアブソーブしてやる装置造りのためだ。つまり大衆に開かれたアート=クラス<地位> パワー<権力> ジェラシー<嫉妬>の構造、、、って変なのだが。
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つまり、大衆からの同意を得た上で、さらなる『羨ましい構造』を承認させてゆく。なので、結果、同じなのにね。日本人、結果、洋物に敷居低いってダケなのに、そこも認めたくないしね。
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ブランドにとっては日本、中華圏におけるスーパーフラット構造が一番狙い目である。ちょっとした差別化。ちょっとだけ羨ましがられつつ、敵視されるほどには嫉妬されない構造造り。そこに日本人、はまってるのにアートマーケットの構造を敵視しててなんとも片腹痛い。
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ランドビジネスとは「隠れながら人との差別化を完成させ密かに羨ましがらせる事」たまにはハッチャキに突き抜けた差別化も使用と思えば出来る、みたいな。
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映画:ソーシャルネットワークはバリーリンドン、だったなぁ、俺にとっては。クラス闘争から始まった人の欲求の闘争。女性の鑑賞者にはつまらん作品だろうね。男の話や!
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女性の世界のクラス闘争映画って大奥とかってなるのかなぁ?
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