なんでもかんでも、作家に押し付けちゃ、作家、持ちません。

日本で活動しているアーティストの表現に「楽屋落ち」的な部分が多い。それは観客も喜ぶし、作家も観客との対話「これ、わかるかな?」といういたずら心があったりして、その呼応に頷き合ったりする。しかし、国際舞台だとそうはいかない。つづく


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何気なく描いたものが差別の対象だったり、観客の心象を損なったり。そういうのを気にしていたら表現なんか出来ない。気にする必要もない、という意見もあるだろう。しかし、そうした批判に備えれるだけの心構えが表現者にあるかどうかだ。つづく2


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http://t.co/DGgyh4Gm … ←コレ。作家、キュレーター、どのように対応するのだろうか?つづく3


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会田誠氏の展覧会への批判においても、社会と現代美術が対峙しその存在意味、意義を訴えたいなら、対応は作家個人のツィッターだけに留まらず、(担当学芸員は沈黙)美術館の対応も必要なのではないかと思われるが、どうか?


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この20年、これだけ活発に活動してきた現代美術が日本で受け入れられて来なかったのは、こうした事件に真っ向から対決して来なかったからなのではないか?


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こうした事を放置していると、後追いで、サブカルがこうした現象を揶揄し、後に作品が高額で売買されていると、ちゃかしたりして晒し者の対象にしてゆき、それが巡り巡って、現代美術の社会信用を無くしてゆくと思うのです。


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バブル経済華やかな頃に、業者間取引で価格をグイグイあげ続けた、日本画業界が、その後完全に焦土と化したように、一度信用を失すと、元には戻れない。会田氏の展覧会は今、メジャー街道に合流し始めた。その時にどういう交通整理をするか。それは作家だけでは補えない、力学が必要だと思う。


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作家は直感で作品を造る。キュレーターはその直感に言説を与え、社会的な意味意義を与える。美術館はその意味意義が公にする意味意義があるか否かを精査し、展覧会を開催する。それぞれの役割があるはず。日本の美術界は常になにもかも作家に押し付けてきすぎたと思う。森ミュージアムはその辺


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他の美術館とは一線を画して、プロが居るはず。僕は現代美術とは何か、会田誠芸術とは何かをきちっとプレゼンする機会として、この騒動の中で行動してくれることを願ってます。(了


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なんでもかんでも、作家に押し付けちゃ、作家、持ちません。


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