「責任」をどのように思考するか

http://t.co/nDaxfTBu … 本日のハックルさんの言うタイトル<「苦しさを楽しむといいんだ」とは二流の言うことである>は、なるほど、と思いつつ、僕は万年二流思考だなぁ、と思った。


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<「苦しさを楽しむといいんだ」とは二流の言うことである>絵を描く行為は苦しく、特に肉体的に、反復作業はこたえる。故に、皆、耳にイヤホンをしたり大音量で音楽をかけたりして時間の反復を忘れるように、脳に耐候性のある薬を誘発させようとしている。コカの葉を噛んでさとうきび畑で働くようにだ


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苦しさは苦しいままだが、人間そう自分自身には言い聞かせれない。だから、音楽を聞いたりして、脳を騙して「楽しんでる」と設定せねばならない。反復作業の果てに見えてくる答えが僕らの仕事の中にはある。しかし、こういう考え方はほんの20年前まで、アートの世界では (つづく1


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メジャー街道には乗っかってこなかった。なぜなれば、アート界にも天才願望が横たわっているからだ。バスキアしかり。瞬時にインスピレーションが去来し、神がかりにキャンバスにその啓示が固着される。まさに奇跡!その期待に答えようとアーティストはドラッグの力を借り、(つづく2


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肉体の限界を乗り越えねばならなくなる。そういうアートが一番かっこいいし、アートには人を超えた超人願望があるからだ。アートでなくとも音楽でも、スポーツでも同じだと思う。でも、それでは肉体が持たない。丁度そこにデジタル革命が来て、肉体的な困苦をマシンが補えるのではないか、という(3


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そういう見通しがたった瞬間があった。が、今、そのデジタルの世界に入っていったとしても演算で表現可能な世界は、人が瞬時に見破ってしまい、演算の素晴らしい統合を「飽きた」と判断する時代になり、マシンとともに、困苦を人が引き受けねばならなくなってきてしまっている。その困苦を(4


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「楽しんでやってますよ〜」と半ば自虐的に自嘲することを引き受ける覚悟があるやなしや、が、実は僕の身の回りの創造への争点だったりして、そのことを現役美大生に理解してもらうことへの処方箋の難しさを日々体感している。。。って、結局己の苦労話で終わり、、、。。。(了


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今も、辛い辛い辛い辛い作業を、データ作成チーム、作画チーム共に1月から休みなしで突っ走ってますが、全く終りが見えません。


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でも、そういうモノづくり、表現も、、、ザクッと言って「どんくさい」もの、ですね。、、、にも、ニーズがあるし、私と仲間たちはそこを狙って玉投げ続けるだけですな。


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アニメ制作班は、12月から終わりの見えない闘いを闘ってるな。。。。お疲れ様です。いい作品、出来ると信じましょう。誰も観たことにない世界を作っていると信じてやるしかないですな。


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流行ってるセミナーとか、如何に己が人より先んじて「アホ見ない」「ばば踏まない」という部分に力点が置かれてるようですが、僕らの世界はばば踏んでなんぼですから。ばば踏んで踏んで、それでなんぼですよ。セミナーの逆サイドね。


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で、昨日ココでツィートしてきた「責任」をどのように思考するか、が僕は大事だと思い始めたのです。


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