逃げたら、その先の風景は見えない

みな、日本のクソは、絵葉書の中の風景を語ってるだけなんだ。絵葉書にある、南極のペンギンを見て「かわいい」とか印象を語り合ってるだけなんだ。でも誰一人、日本人で南極を体験した者はいないんだ(喩え話です)僕はその寒さも現実も、美しさも何もかも今体験しているんだ。

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アートと資本主義の関係を一体誰が机上の空論で理解できるっていうんだ?と思うんですよ。日本はビジネスマンだって、資本主義とは何かの根本的なコンセプトを体感したことあんのかしら?と思う。否!バブル崩壊時に体験した者は腐るほどいるはず。そこから這い上がり、

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今も生き延びていれば、そいつには語る資格がある。中途半端なビットをしてテキトーに逃げを打った者には何も言える資格など無いのだ。そういう世界なのだ。故に、今、「資本主義の滝壺」というネーミングにリアリティを感じる。滝の上から滝壺に落っこち、生きてるか、死んだか。

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僕は日本の連中は戦後、本当の資本主義を迂回し続けただけ。まさに日本の戦後の現代美術のように似非資本主義だった、と思うのです。そして中国に寝取られた。

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僕は日本の知識人の不勉強とともに経済人も今、一気に負けが混んでる理屈を知るべきだと思う。理屈がある。負けてる理屈が。

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椹木さんへのリプライであれこれ書いちゃったけれども、椹木さん批判とかじゃないですよ。椹木さんの「資本主義の滝壺」というネーミングと、今、自分が見ている現実のオーバーラップした風景の実態を、椹木さんに聞いて欲しかった、だけでした。

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逃げたら、その先の風景は見えねぇ〜だろうに。日本じゃみんな逃げた連中ばっかじゃねぇ〜か。それがあれこれ偉そうなこと、言えるわけねぇ〜だろ、と思うんだよ。

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福岡市美のトークショウの質問者は、過去最高の良い質問だった。酪農家の人。高校生。アートモデル。みんな良い質問をしてくれた。

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まぁ、こんなとこで息巻いてても始まらないんだが、三潴さんや辛さんらが、アジアのオリジンを西欧に目にもの見せたい、というなら、本気で喧嘩する気あんのか?と思ったからです。本気で資本主義の滝壺に堕ちてゆく覚悟があるのか?と、思ったのです。

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僕は藤田嗣治の悲劇の轍を踏みつつ、彼の時代には見れなかったであろう、アートが資本主義の中に飲み込まれてゆく風景を、間近で見たいと思っているんです。机上の空論ではなく、僕自身も飲み込まれ、現地からレポートしているんです。それがね、「五百羅漢」なんです。あれがレポートなんですよ。

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自分は日本では忌み嫌われるだろうが、未来のフジタの生まれ変わりはまた出現する。そいつのために、俺のレポートを残そうと思う。俺はフジタが日本を石持て追われた情景に共感しつつ、しかし、そのゾーンにしか見えない景色を共有できている、と思ってる。

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金とどう付き合うのか。そこにおぼこい事が純血と勘違いしているねんねばかりだぜ、日本のアートの人間はさ。それでどうやって、転覆が可能だって言うんだろうね。何もかも力不足、経験不足、そして、まさに資金不足なんじゃないかね。

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まぁ、俺もこんなとこでくだ巻いてる場合じゃないんだけどね。目が覚めた。現場に戻ろう!

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