「ぬるい正義感」との距離感

現代の経営の神様、稲盛さんの哲学は「人の為に生きる」 http://amzn.to/xQMoPm 渡辺さんも似た理念は持ってるだろう。が、経営で利益を出す、儲けの理論を貫徹させるとの調整が肝。どっかで狂ったんでしょうが、僕は今の所、和民の料理まぁまぁ好きです。

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なんだろね、「平等」とか「社会正義」の基盤の理念はどこに造ればいいのかね?と、橋下さんの討論とか見てて考えます。和民の過労死問題もどこに問題があったかはわからないが、社会的なつるし上げやって、気持ちよくなっても仕方が無い気がする。

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でも、和民でしか働けなかった人、というのもいるだろうし。そういうリアルな社会の、、、まぁ、構造、ですかねぇ。。。そこを経営者達は正義感を持てば持つほど歪んだ思考が産まれてしまう、というのが解ると言うか、僕は歪んでます。

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マンガ業界の自殺や精神疾患は面白い話として語られてます。僕らの業界=ART業界の歴史は「人の不幸を楽しむ」というのが根本にあり、歴代の名画にこそ「ええ!」という逸話があります。中野京子さんの「怖い話」に詳しい。

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もの凄いマンガ作品が出来あがってゆく成り立ちに、作家のすり減りや編集者の追い込みとの連関ってありそう。作家は名作を造るとぼろぼろになる。ぼろぼろってあっちの世界に逝っちゃって戻れないって事ですよね。で、そういうの、読者は楽しんでる。人の世の無常を芸術は吸引してゆく。

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僕は今の日本にある「一般の思考」っていうなんていうんだろう、ぬるい正義感、っていうかな。そういうのへ、文化人はアタックしてゆかねばならないのではないか、と思うんですよね。マンガ、芸術の存在意義はそういうぬるい部分を受け止めたり、補正したり、そういうとこもあると思う。

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芸術の教育の現場において、ゆるい正義感と表現との距離感の策定は非常に重要なポイントだと思う。その正義感のどの辺に作家が座標点を置き、コンセプトを造り、お話、発言するか。通り一遍では誰にも訴求出来ないなまくらなモノしか出来ない。

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というか、マンガは娯楽だろうが、芸術でもある。その教育の現場における教育者の正義感の所在地が、僕は問題視しているのです。

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経営者渡辺さんの芸能人的な思考、サーヴィス精神と経営のアンバランスって、実は日本の文化の大問題だと思ってるので、引っかかったんです。スポーツ選手のあがりが芸能人だったり、コメンテーターになる漫画家さんがいたり、サーヴィス精神が日和見的になってゆく。そして

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本業が疎かになってゆく。しかし、そこそこ芸能活動で食える=そっちの方が楽というか、日本人はそういう芸能人を下に見下してエンターティンするという構造が強くあって、その中毒症になってしまうと思ったのです。有名すなわち正義。だが同時に有名=晒し者っていう部分に気づかずに。

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伊藤さんのTLをみて、最近の「放射脳」問題とか、いろいろ思う所があって、書いてみました。朝のお忙しい時間にスミマセンでした。ありがとうございました。

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まぁ、確かに、事件後の発言として、渡辺さんの最新ツィートはピントがずれてる気がしております。なんで枕がバングラディシュなんだろうか?でも、それがある種の芸能人脳なのではないか、とも思うのです。経営者脳ではない部分。(なんかこだわってるなぁ、俺)

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経営者は人を預かってますからね。。。ああ、そこも引っかかってた部分だ、、、。。。人を預かる責任の重さと、労働者の守られすぎな労働基準法とのアンバランスに、僕ら経営者はうめいてもいるんですよねぇ〜。ううう。

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なので、和民のネタに、同情と共に芸能脳への蔑みがないまぜになって、うむむ、となってたら、伊藤さんのTLが目に飛び込んできたのでした。スミマセンでした、、、。。。

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つか、俺はある意味ツィート脳になってて、それはそれで芸能脳と似たり寄ったりで、問題視せねばなるまい。

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